伊藤忠男さん紹介
- 2014.11.23 Sunday
- 10:47
毎朝10キロ走るアスリート
趣味もハードな農作業も楽しむ
乞田に畑を持つ、伊藤忠男さん。
おじゃました11月の畑には、ししとう、なす、ピーマンなど、夏の収穫の名残がありました。

「もうすぐ、冬だからね。」
伊藤さんの畑は、この畑の他に5か所。
ニュータウン計画の区画整理で、点在してしまったそうです。
「一番遠いところは、家から800m。車が止められないから、通うのが大変なんだよね」
トラクターであの広いニュータウン通りを渡ることもあるとか。
それは、かなり目立ちそうです。
「その畑に、今は秋、冬に採れるじゃがいもを育ててるよ」と伊藤さん。
ちょうどみかんの収穫シーズン。
agri argi、ぜひ収穫を体験させてください! とお願いしたところ、快く受けていただきました。
みかん畑は、ご自宅から300mほど歩いたところにありました。

おー! みかんが鈴なりです!

この畑に、28本のみかんの木を栽培しています。
みかん畑の奥には、大きな柿の木があります。

「あの柿の木は、樹齢150〜200年なんだよ。区画整理で生き残った柿の木。」
200年! まだ実はなるんですか?
「今年はほぼ終わったけど、毎年出荷しているよ」
品種は日本最古の甘柿と言われる「禅寺丸柿」。
市場になかなか出回らなくなった、昔ながらの柿です。
「種がうすっぺらくて、たくさん入ってる。でもすごく甘いよ」と伊藤さん。
200年のヴィンテージ柿ですが、気取ることなく普通の値段でアンテナショップPonteや地域のスーパーに並んでいるそうです。
これは、知らずに食べるのはもったいない!
つい、プレミアムな柿の木に目がいってしまいましたが、みかんの収穫に来たんでした。
みかん畑の北側は、高いコンクリート塀になっています。
この壁が南からの太陽を照り返し、温暖な空気を作ってくれるのだそうです。

先の細い剪定ばさみで、収穫します。

できるだけへたに沿って枝を切ります。
枝が残っていると、尖った枝の先で他の実を傷つけてしまうのだそうです。

「全体が黄色く色づいたのを選んでね」と伊藤さんから指示を受けました。
収穫してすぐお店に出すので、できるだけ木で熟させたいと考えているのだそうです。
この見極めがなかなか難しい
全体黄色いと思っても、若干青みが残っていたりします。

「ゆっくりでいいからね」との伊藤さんの言葉に、1個採るのにかなり時間をかけてしまいました。
その割に、相変わらず青味のあるみかんを選んでしまいます。
これは案外難しいぞ!
収穫作業終了。
かごのみかんが、わたし。2袋分が、伊藤さん。

同じ時間なのに、こんなに量に差が…
みかの収穫は1月末まで続きます。
収穫が終わると、牛糞や鶏糞など4種類の肥料を配合した「お礼肥え」を撒くのだそうです。
「みかんの木に、『ご苦労様』というお礼を込めてね」
果樹のように長くお付き合いするものには、そういった感謝の思いも大切なんですね。
みかんを積んで一輪車で帰ります。

帰りは登り坂です。
重いみかんを積んでの移動は結構大変ですよね。 と、伊藤さんの体を心配していると
「ぼくね、趣味はマラソンなんですよ」と伊藤さん。
え! フルマラソンですか?!
「そう。36年前から始めて、レースは34回。
速かったときは、2時間53分台だったんだよね」と伊藤さん。
すごい!! 尊敬〜!
今も毎朝10キロ走っているそうです。
「昔は、本当に毎朝。雨でも雪でも、台風でも」と奥さま。
台風の日は危ないです

「雪の日に、転んだこともあったわね」と、さらに奥さまが教えてくれました。
今は、さすがに悪天候の日はお休みだそうです。
「若い頃は、江の島や川崎大師まで往復したよ」
相模湖も往復したことがあるそうです。
なるほど、ハードな農作業は、マラソンで鍛えられた体が支えているのですね。
「逆に、農作業がマラソンの体力づくりにもなっていると思うよ」
せっかくなので、ご自宅横の畑の周りも見学させていただきました。
左の写真は、堆肥小屋。
右がその中で、柿の葉や枝、芋のつるなどを細かくして発酵させた「有機肥料」。

柿の葉茶のような香りでしょうか。とてもさわやかな香りがします。
これを春までねかせ、野菜作りが本格的になる頃に畑に撒くのだそうです。
家の周りには、薪がたくさん積まれています。
「うちの風呂は、薪で炊くんだよ」
その装置がこちら。伊藤さんの手作りです。
沸かしたお湯を、お風呂場までポンプでくみ上げます。

手作りですか! すごいですね。
実は伊藤さん、工業系の学校を卒業してすぐは自動車工場のメカニックだったそうです。
「3回、転職したからね」
メカニックの次は、病院の看護助手。その次は、市役所に入り給食センターの職員。
「調理師免許も持っているよ」
伊藤さん、幅広いです。
50代半ばに、お父さまが亡くなり、その後お母さまが体調を崩されたのをきっかけに、農業を継いだのだそうです。
今は、伊藤さんがメインで畑作業をしていますが、忙しいときは息子さんが手伝ってくれます。
「自分もそうやって、働きながら家の手伝いをしてきたから」
ハードな農作業に取り組みながらも、趣味を存分に楽しむ伊藤さんの姿をうらやましく感じた今回の取材でした。

(K)
趣味もハードな農作業も楽しむ
乞田に畑を持つ、伊藤忠男さん。
おじゃました11月の畑には、ししとう、なす、ピーマンなど、夏の収穫の名残がありました。

「もうすぐ、冬だからね。」
伊藤さんの畑は、この畑の他に5か所。
ニュータウン計画の区画整理で、点在してしまったそうです。
「一番遠いところは、家から800m。車が止められないから、通うのが大変なんだよね」
トラクターであの広いニュータウン通りを渡ることもあるとか。
それは、かなり目立ちそうです。
「その畑に、今は秋、冬に採れるじゃがいもを育ててるよ」と伊藤さん。
ちょうどみかんの収穫シーズン。
agri argi、ぜひ収穫を体験させてください! とお願いしたところ、快く受けていただきました。
みかん畑は、ご自宅から300mほど歩いたところにありました。

おー! みかんが鈴なりです!


この畑に、28本のみかんの木を栽培しています。
みかん畑の奥には、大きな柿の木があります。

「あの柿の木は、樹齢150〜200年なんだよ。区画整理で生き残った柿の木。」
200年! まだ実はなるんですか?
「今年はほぼ終わったけど、毎年出荷しているよ」
品種は日本最古の甘柿と言われる「禅寺丸柿」。
市場になかなか出回らなくなった、昔ながらの柿です。
「種がうすっぺらくて、たくさん入ってる。でもすごく甘いよ」と伊藤さん。
200年のヴィンテージ柿ですが、気取ることなく普通の値段でアンテナショップPonteや地域のスーパーに並んでいるそうです。
これは、知らずに食べるのはもったいない!
つい、プレミアムな柿の木に目がいってしまいましたが、みかんの収穫に来たんでした。
みかん畑の北側は、高いコンクリート塀になっています。
この壁が南からの太陽を照り返し、温暖な空気を作ってくれるのだそうです。

先の細い剪定ばさみで、収穫します。

できるだけへたに沿って枝を切ります。
枝が残っていると、尖った枝の先で他の実を傷つけてしまうのだそうです。

「全体が黄色く色づいたのを選んでね」と伊藤さんから指示を受けました。
収穫してすぐお店に出すので、できるだけ木で熟させたいと考えているのだそうです。
この見極めがなかなか難しい

全体黄色いと思っても、若干青みが残っていたりします。

「ゆっくりでいいからね」との伊藤さんの言葉に、1個採るのにかなり時間をかけてしまいました。
その割に、相変わらず青味のあるみかんを選んでしまいます。
これは案外難しいぞ!
収穫作業終了。
かごのみかんが、わたし。2袋分が、伊藤さん。


同じ時間なのに、こんなに量に差が…

みかの収穫は1月末まで続きます。
収穫が終わると、牛糞や鶏糞など4種類の肥料を配合した「お礼肥え」を撒くのだそうです。
「みかんの木に、『ご苦労様』というお礼を込めてね」
果樹のように長くお付き合いするものには、そういった感謝の思いも大切なんですね。
みかんを積んで一輪車で帰ります。

帰りは登り坂です。
重いみかんを積んでの移動は結構大変ですよね。 と、伊藤さんの体を心配していると
「ぼくね、趣味はマラソンなんですよ」と伊藤さん。
え! フルマラソンですか?!

「そう。36年前から始めて、レースは34回。
速かったときは、2時間53分台だったんだよね」と伊藤さん。
すごい!! 尊敬〜!

今も毎朝10キロ走っているそうです。
「昔は、本当に毎朝。雨でも雪でも、台風でも」と奥さま。
台風の日は危ないです


「雪の日に、転んだこともあったわね」と、さらに奥さまが教えてくれました。
今は、さすがに悪天候の日はお休みだそうです。
「若い頃は、江の島や川崎大師まで往復したよ」
相模湖も往復したことがあるそうです。
なるほど、ハードな農作業は、マラソンで鍛えられた体が支えているのですね。
「逆に、農作業がマラソンの体力づくりにもなっていると思うよ」
せっかくなので、ご自宅横の畑の周りも見学させていただきました。
左の写真は、堆肥小屋。
右がその中で、柿の葉や枝、芋のつるなどを細かくして発酵させた「有機肥料」。


柿の葉茶のような香りでしょうか。とてもさわやかな香りがします。
これを春までねかせ、野菜作りが本格的になる頃に畑に撒くのだそうです。
家の周りには、薪がたくさん積まれています。
「うちの風呂は、薪で炊くんだよ」
その装置がこちら。伊藤さんの手作りです。

沸かしたお湯を、お風呂場までポンプでくみ上げます。

手作りですか! すごいですね。
実は伊藤さん、工業系の学校を卒業してすぐは自動車工場のメカニックだったそうです。
「3回、転職したからね」
メカニックの次は、病院の看護助手。その次は、市役所に入り給食センターの職員。
「調理師免許も持っているよ」
伊藤さん、幅広いです。
50代半ばに、お父さまが亡くなり、その後お母さまが体調を崩されたのをきっかけに、農業を継いだのだそうです。
今は、伊藤さんがメインで畑作業をしていますが、忙しいときは息子さんが手伝ってくれます。
「自分もそうやって、働きながら家の手伝いをしてきたから」
ハードな農作業に取り組みながらも、趣味を存分に楽しむ伊藤さんの姿をうらやましく感じた今回の取材でした。

(K)
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